ドイツ入門書
1873年(明治6年)7月にドイツの商船「R.J.ロベルトソン号」は、ドイツのハンブルグ港からお茶等の貿易品を中国福州から積み、オーストラリアのアデレードに向けて出港し、台湾の南を通過して太平洋に出る航路を予定していましたが、南風が強い為台湾と宮古島の間を通る航路に変更したところ、台風に遭遇しました。暴風でマストは2本折れ、乗組員2名が死亡。10名いた乗組員は8名となり、マストを失ったロベルトソン号は漂流を続け、宮古島の南岸へ流れて宮国沖のリーフ(現在のうえのドイツ文化村の沖合)で座礁してしまいました。早朝にこれを発見した遠見番役人が、島から小舟(サバニ)を漕いで救出を試みますが、台風明けでの強風で船に近づくことが出来ませんでした。当日の救出は無理と判断され救助は翌日に延期されましたが、夜は海岸でかがり火を焚き、乗組員を励まし続けました。翌朝は救助が決行されることになりました。地元の宮国の漁師と佐良浜(伊良部島)の漁師が救助にあたり、2隻のサバニで向かいましたが風はややおさまったものの、台風の余波で波は高く、サバニは何度も転覆しそうになりながら、船に残っていた救命ボート1隻も使い、乗組員8名(ドイツ人6名、うち女性1名。中国人船員2名)を無事に救出しました。救出後、言葉が通じずコミュニケーションがうまく出来ない状況でしたが、遭難者たちを手厚く看護しました。ロベルトソン号は、再生不能になってしまい、船長は台湾か中国を経由して帰国できるように船を要望しました。蔵元の役人は首里まで使いを向かわせましたが許可がなかなかおりず、高官は悩んだ末、王府の許可を待たずに独断で沖縄の帆船を貸し、難波救出から34日後、帆船で中国を経由してドイツへと帰国しました。帰国後、ロベルトソン号の船長が新聞に発表し、それを読んだドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は、宮古島の人々の博愛精神に感動し、3年後の1876年(明治9年)に軍艦チクローブ号を日本へ派遣します。チクローブ号は横浜に入港し、日本政府を通して来島。そして3月22日に漲水港(平良港)を見渡せる位置に博愛精神を賞賛する記念碑が設置され、石碑の除幕式と贈呈が行われました。それから時が過ぎ、このような祖先の勇気ある偉業を称え、その博愛の心を広く文化遺産として後世に伝えるとともに、国際交流や地域との交流を推進し地域の活性化が図れる拠点づくりの為、「ドイツ文化村」は策定され、1996年には「うえのドイツ文化村」がグランドオープンしました。
うえのドイツ文化村住所 :〒906-0203 沖縄県宮古島市上野字宮国775-1電話 :0980‐76‐3771定休日 :火・木曜日営業時間:9:30~17:30(最終入場:17:00)入園料 :無料 ●博愛記念館 大人750円、子ども400円 ●キンダーハウス 大人210円、子ども100円 ●共通券(上記2館) 大人850円、子ども400円ペットの入園可※園内の散歩はできますが、博愛記念館・キンダーハウスには入れません
アクセス宮古島空港からお車で約15分
宮古島の観光には断然レンタカーが便利!せっかく宮古島に行くなら、色々な宮古島の観光地に行くついでに、うえのドイツ文化村をもぜひ訪れてみてください。レンタカーなら自分の好きなコースを自由に回ることができますね♪
ドイツ語で子供の家という意味を持つ館内には、グリム童話に関する資料や複製画、くるみ割り人形などドイツのおもちゃを展示。木のパズルなどのおもちゃで遊べるコーナーや絵本などを読める図書室もあり、子供たちが遊びながらドイツの文化に触れることがでます。そして何より館内に入って目を引く、高さ3.6m、重さ2.6tの本物のベルリンの壁。関連資料や当時の様子を写した写真パネルとともに展示しております。
透明な宮古島の海の中は、サンゴ礁や熱帯魚たちがすむ別世界が広がっています。そんな海の中を服を着たままで、海中散歩を楽しむことができる「シースカイ博愛」は素敵な出会いを演出してくれます。※天候状況等により、運航ができない場合があります運行時間 約45分(午前3便・午後4便)乗船料:大人(高校生以上)2000円 子供(小学生~中学生)1000円
博愛記念館(マルクスブルク城)内の素敵なチャペルで挙げる結婚式。中世ドイツの古城の雰囲気を楽しみながらロマンチックなリゾートウエディングを実現。青い海と季節の花々も幸せなお二人を祝福します。地元では人気で宮古島では有数の本格的チャペルです。
うえのドイツ文化村の公式サイトはこちら